野良犬とボク

ドイツに定住権を得られたら、いつかはやってみたいと思い続けてきたことがある。それは犬を飼うことだ。いままでに飼ったことはない。ことさらに犬が好きというわけでもないが、決して嫌いというわけでもない。犬を飼う…。なんと言ったらよいのか、それは 「外国に行った事がある」 と言ってみたい、ほんの小さなボクの見栄とでも言うべきか。

もちろん今のボクは 「ヨーロッパに行ったことがある」 と言えるかも知れない。しかしただ 「行く」 だけなら、金さえあればツアーでいくらでも行けるだろう。「外国に住んだことがある」、というのはちょっと格好よさげな気がする。だがよく考えてみれば、金さえあれば長期滞在さえ実は別段に難しいことではない。じゃぁ 「外国で勉強したことがある」 というのはどうか。いや、それだって金さえあればいつだって可能で、語学学校でも大学の聴講でもサマーコースでも何でもござれだ。そんなことはボクが一番よく分かっている。

ボクのやってきたことなんて、結局は 「金さえあれば」 誰にでも可能なこと。金のないボクがいくら見栄を張りたくとも、お金持ちを前にしてしまえば、ボクに見栄の張りどころなど実はまるでないのだということに気付く。そんなボクが最後にたどりついた見栄の張りどころ、それが犬だ。

外国に行きました。外国に住みました。外国で勉強しました…。どんなことでもさらっと言えるかもしれないお金持ちでも、「外国で犬を飼ってました」 にはそうそう適うまい。あぁ、なんてささやかな見栄だろう。そんなボクに飼われる犬は不幸かもしれないが、でもいつかはボクの虚栄心を満足させるために飼いたい犬。それがボクにとっての、ヨーロッパにおける 「犬」 である。

ボクが犬と暮らすのはずっと先のことだろう。なにしろボクは、それほどに動物を飼いたいと思っているわけではないのだから。動物の臭いが移るのも嫌だし、旅行に行こうと思えば一緒に連れていかねばならない。日本への一時帰国などを考えると、それは面倒この上ない。飼いたくないくせに飼おうと考える。それは実に滑稽な望みで、なにより愛犬家が知ればそれは非難の的にもされよう。

しかしそういえば…、飼う気のない飼い主というのも世の中には確かにいるものだ。犬といえば、哲学の S 先生と 「あの犬」 のこと、やはりあれが思い出される。それは1993年、ボクが日本で学生をしていた頃の話…。

 

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ある日、大学1年生のボクに先生が言った。「おととい雨がすごく降ったでしょう? 実はそのときにわが家の庭…、というか入り口のところに、一匹の犬がいましてね、ずっと雨に打たれてたんですよ。ひどくお腹を空かせているようで…、しかももうかなり歩いたのか心身ともに疲れ切っている様子で…、そのままにしておけば死んでしまってもおかしくない。そんな状態の実に汚い犬でした」。

先生のその感慨深そうな話ぶりに、ボクは新たな哲学的話題を提供されているのかもしれないと思った。ボクはごく普通に話の続きを訊ねた。「それで、その犬は昨日になってもそこにいたんですか? それとも…、死んでしまったんですか?」。先生は深く考え込むような沈痛な表情で、「いえ、今うちにいます」。ボクは 「は?」 と声を上げた。

あれほど動物など飼わないと言っていた、そして常に論理的に思考する先生が、一時的な感情のみでその犬を拾い上げたという情景をボクにはちょっと想像できなかった。先生は犬に食事を与え毛布で体を温めてやったという。「飼うんですか?」。「まさか、飼いはしませんよ。あくまで人道的措置です。君ならどうしましたか?」。反対に先生に質問され、ちょっと困った。

「えぇ、そうですね…。食事を与えて、軒下を貸すくらいのことはしたかもしれません。でも家に上げることはしなかったと思います。だって追い出しにくくなるじゃないですか。先生はちゃんと追い出せそうですか」?。「それは当たり前ですよ。私に動物を飼う気はありませんから。体力が回復次第、きっちり出て行ってもらいます」 と先生は言った。

2日後、先生の研究室がある7階に上がった階段のところで、給湯室から出てきたく先生とばったり出くわした。ボクは挨拶してから訊ねた。「例の犬は元気になりましたか?」。「えぇ、ずいぶん回復しました。しかしあの時は本当に死ぬかと思いましたよ。それにしても、雨に打たれて泥だらけで本当に汚い犬でした…」。

先生の言葉が過去形になっているのに気付いてボクは訊ねた。「あぁ、犬は出て行ったんですね」。先生は 「いえ…、まだうちに居ます。あんまり汚かったので洗ってやりました。たとえ数日とはいえ、さすがにあの姿でうちに居られるのは困りますからね」。先生は淡々と答えた。

犬が雨に打たれていたという日から数えて9日目、ボクは先生のゼミが始まる少し前に研究室に来た。ゼミと言っても学生はボクを合わせてもたったの2人。3人が机を囲む超小規模ゼミで、我々は真剣に哲学を語っていた。

当時の先生はまだ若く、確か教職に就いて2、3年目だったはずだ。最初のゼミ生となったボクらに、「私には何も教えれることなどないから、3人で一緒に考えよう」 と先生はいつも低姿勢で物静かだった。その奥ゆかしさと思慮深さの合いまった人格に、ボクは理想の学者像を見ていた。常に論理的・理知的な先生に、ボクは再び訊ねた。

「そういえば、あの犬はどうなりましたか?」。「あの犬に名前を付けました」。「はぁ?」。「何という名前だと思います?」。「……、ポチですか?」。「いえ、ウーです。漢字では “無” と書く中国語です。う~とうなった声と、何も持っていない無をかけて名付けたんですよ。我ながらいいネーミングだと思います」。

「えぇ…、そうですね。斬新なネーミングだと思います。ところで…、飼ってるんですか?」。「いえ、飼いませんよ」。「でも名前まで付けちゃったんでしょ?」、「名前を付けることと飼うことは別問題です。それに、うちにいる以上は名前も必要でしょう。あくまで暫定的な呼称に過ぎません」。

「で…、まだ体調は芳 (かんば) しくないのですか?」。「もうすっかり元気です」。「ではそろそろ追い出すんですか?」。「そうですね。ただ、いまのところ行くべきところが見つからないので…、まぁ仕方がないですねぇ。でも折を見て出ていってもらいます」。

「行くべきところ…、ですか? あぁ、先生は飼い主を探してるんですか」。「いえ、そういうわけではありませんが、いまのところまだウー自身に行くべきところがないようなのです」。「え? 元々どこかの飼い犬だったんですか?」。「いえ、野良犬でしょうねぇ。恐らく」。まさか…、先生は気付いていないんだろうか。

「先生…、そりゃウーには行くべきところなんてないでしょう。きっと、だから “野良犬” なんですよ」。「それはそうかもしれませんが、そのうちウーにはウーの行くべき道が見つかるでしょう」。「いえ、恐らくですが、もう見つけてると思いますよ。ウーにとっては先生のお宅がいるべき場所のような気がします」。「まさか…、それはないですよ。私に犬を飼う気はないんですから」。

ボクは納得できたようなできないような…、しかしとにかく先生が飼わないと言ってるんだから、どうやらウーは飼い犬ではなく、先生宅の 「客犬」 らしい。そう思った。

 

3ヵ月ほどして、ボクは思い出して訊ねると先生は答えた。「それが…、まだうちにいます。まだ行くべきところが見つからないようです」。「いえ…、見つかってると思いますよ」。「私のうちですか? それは違いますよ。私に飼う気はありません」。

「え? では放し飼いにしてるんですか?」。「まさか、そんなことはできません。うちの中にいます」。ボクは心の中で思った。「それじゃぁ行くべきところなんて見つからないんじゃないだろうか…」。

「散歩とかは?」 ボクは続けて質問した。「そのときは鎖を付けてます」。「え? じゃぁ首輪とかも買われたんですか…?」。「えぇ…、病むに病まれて」。「先生、ウーはきっと飼い犬ですよ」。「いえ…、最初は首輪も何もありませんでしたから、恐らく野良犬のはずです」。

「えぇ、でも今はきっと飼い犬ですよ」。「いえ…、ですから…、私に飼う気は毛頭ありません。これはあくまで緊急措置です」。3ヵ月を緊急というのかどうかボクにはとても疑問に思えたが、しかし先生がそう言うのだから、きっとこれは緊急措置なんだろう。ボクは素直にそう思うことにした。

さらに1ヵ月ほどして、先生が言った。「なんだかウーは私のうちに居ついてしまったみたいです。出て行こうという気はないような気がします」。「そりゃぁ…、そうでしょうねぇ…」。「もう飼ってしまおうか、と最近は少し悩んでいます。それに少しは情も移ってしまいましたしねぇ」。

「いえ先生、恐らくですがもう飼ってますよ」。「いえ、決してそういうワケではありません」。頑 (かたく) なな人だとボクは思った。どうやら先生にとって、ウーはいまだ飼い犬ではないらしい。

1週間後、先生は言った。「私はもうウーを飼ってしまおうかと思い始めてます。さすがにもう追い出せそうにありません」。翌々日だったか、あるいは翌々々日だったかもしれない。先生がいきなりボクに向かって言った。「私はウーを飼うことに決めました」。

「え…、そんな…」。ボクはたじろいだ。「いえ、もう決めましたから」。「そんな…、いまさら言われてもっ…!」。先生は意を決してボクを諭すように、「もはやこれは仕方のないことなのです。今日からウーはうちの飼い犬です」、「いえ、そうではなく…、前から飼ってましたってばっ、先生っ!」。ボクは笑った。

 

大学1年目の終わりごろ、ボクらたった2人のゼミ生は先生宅に招かれた。話にしか聞くことのなかったウーとの初めての対面に、ボクは少しワクワクしていた。あの先生を懐柔し、とうとう自らを飼わせてしまった犬というヤツにももちろん興味はあった。しかしそれだけではなく、結局は居付かれてしまった先生夫妻がウーとどうやって暮らしているのか、先生はウーにどう接しているのか。むしろその辺りにこそボクの興味は集中していた。

同じく他大学の教員をしているという夫人は留守だった。お宅に入り居間に通されると、そこにウーらしき一匹の犬がいた。「こちらがウーさんですか?」 と訊ねると、先生は犬に近寄り猛烈に抱擁し始めた。しばらくしてご自分の世界からお抜けになられたころ、先生はボクらにウーを紹介した。「ウーでぇ~~す」。その溺愛振りに恐れをなしながらも、ウーに飼われている先生の姿を見て、ボクは以前よりも先生に親近感を持つことができた。

経営学部の学生だったボクが先生の哲学ゼミに参加したのは、大学に入った最初の1年間だけだった。しかし4年間を通じてボクは公私共に先生のお世話になり、ドイツに来た原因の一端もまた、先生がドイツ語の授業を担当していたことにある。ボクが大学でドイツ語の授業を受けることはなかったが、しかし今にして思えば、なぜ先生の授業に参加しておかなかったのかと不思議に思う。

在欧2年目の2002年11月、それは大学を卒業してから5年目、久方ぶりに出した近況報告の手紙に返信として、先生から一本のメールが届いた。ボクがいくら勧めてもパソコンなど見向きもしなかった先生から、いまこうして返信メールがパソコンに届いている。奇妙な感覚に襲われつつもボクは同時に、確実に移り行く年月の流れを感じた。何よりそれは、先生からのメールの中にこんな言葉があったからだ。

「ウーは歳をとりましたが元気です」。

ウーが先生宅の庭先に現れて9年が経っていた。死の境をさまよった一匹の野良犬が先生宅にたどり着いたその幸運を思うと、神の存在一切を否定するボクでさえ 「神意」 というものを感じてしまいそうになる。世に 「劇的な出会い」 というものがあるなら、その一つは正にウーにとっての先生との出会い、それに違いない。

 

心の貧しい人間ほど見栄を張りたがるものだ。そしてボクが張りたいささやかな見栄、「ヨーロッパで犬を飼う」 こと。しかしボクは何しろ貧乏で、先行きも限りなく暗い。そんなボクに飼われて幸せな犬などそうはいないだろう。先生の愛犬・ウーは幸せな犬だ。しかし死に瀕している状況だったなら、例え拾ったのが先生でなくボクであったとしても、ウーは幸せだったに違いない。死に直面した野良犬なら、ボクにだって確実に幸せを与えてやれる。ボクは先生とウーのような、劇的な出会いを密かに待ち望んでいるらしい。

瀕死の野良犬。あぁ…、なんて魅惑的な響きだろう♪ いやよく考えてみると、そもそも野良犬と飼い主の出会いなんて実は皆そんなものなのかもしれない。どこの誰とも知れない人間と、素性不明の犬が一緒に暮らすようになるのだから、それはどんな場合も劇的な出会いに違いないのだ。そうだ、ボクが飼うべきは野良犬でなくてはならない!…と、そう思い込んでから早くも3年の月日が流れた。

ところがだ、困ったことにドイツには基本的に野良犬がいない。ドイツにおいて犬の飼い主は 「ペット犬税 / die Hundesteur」 なるものの支払い義務があり、多くの犬には IC チップが埋め込まれ、例え保健所が捕らえても日本のように殺されることはない。

街には行儀のよい飼い犬が溢れ、飼い主はスーパーや百貨店、レストランにも犬を連れて歩き、電車には犬用の乗車券が用意され、毅然と立ち居振る舞う犬たちは、他の犬とすれ違っても吠えることさえない。そう、ここは日本とは違うのだ。

犬大国のここドイツで、野良犬と野良ボクとの劇的な出会いなど、どうやら望めそうにはないらしい。ボクがドイツで犬を飼う日など本当に来るのだろうか。劇的な出会いを渇望するあまり、いまやボクにはどの犬も可愛らしく見えてしまう。

街を悠々と歩くシェパードやゴールデン・レトリバーを見ながら時々ボクは思う。「あぁ…、あれが野良犬だったなら…」。むなしい期待と、「そんなものはいない」 という諦めを内に秘めつつ、ボクの目は今日もここドイツで、瀕死の野良犬を探し続ける。

 

kon.T
2003.03.10  in Augsburg

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